高齢者の歯が抜ける原因と対処法|「8020運動」を知っていますか?
リード文
施設に入所されたご入居者さまが「歯が抜けた」「歯がぐらぐらする」といった相談をされたことはありませんか?
高齢者の歯の喪失は珍しい現象ではなく、むしろ日本の多くの高齢者が経験する一般的な問題です。しかし、歯を失うことの影響は思った以上に大きく、食事摂取の困難、栄養不良、認知機能の低下、さらには寿命の短縮にまで及ぶことが研究で明らかになっています。
本記事では、高齢者の歯が抜ける原因、歯を失うことがもたらす影響、そして「8020運動」という国が推進する歯の健康寿命延伸プログラムについて、施設スタッフさまが知っておくべき知識を解説します。
高齢者の歯の現状:データが語る日本の実態
日本の高齢者がどのくらいの歯を失っているのか
厚生労働省の「歯科疾患実態調査」によれば、日本の高齢者の歯の現状は以下の通りです:
| 年代 | 平均残存歯数 | 全体に占める割合(20本以上) |
|——|————|————————–|
| 60~64歳 | 22.3本 | 約70% |
| 65~69歳 | 20.8本 | 約60% |
| 70~74歳 | 19.2本 | 約50% |
| 75~79歳 | 16.3本 | 約35% |
| 80~84歳 | 13.8本 | 約25% |
| 85歳以上 | 10.2本 | 約12% |
(参考:日本人の永久歯の総数は32本 ※親知らずを含む)
この統計から明らかなことは、加齢に伴って歯を失う人の割合が急速に増加するということです。特に75歳を越えると、16本以上の歯を失っている人が半数以上となります。
施設に入所されているご入居者さまは、さらに高齢であることが多いため、平均より多くの歯を失われている可能性があります。
「自然な加齢現象」では済まされない理由
「歳を取ったら歯が抜けるのは当たり前」という認識がありますが、これは医学的に正確ではありません。適切な予防と治療を行えば、高齢になっても歯を守ることは十分に可能です。
実際、スウェーデンやスイスといった歯科予防が充実している国では、70歳でも平均20本以上の歯を有している人が多いのに対し、日本はそれより大幅に少ないのです。
つまり、日本の高齢者が多くの歯を失っているのは、加齢が原因ではなく、むし歯や歯周病といった予防可能な疾患を放置してきた結果なのです。
歯が抜ける主な原因:なぜご入居者さまは歯を失うのか
高齢者が歯を失う主な原因を、施設スタッフさま様が理解することは、これ以上の歯の喪失を防ぐために重要です。
原因1:歯周病(最大の原因)
統計的には、高齢者が歯を失う最大の原因は歯周病です。むし歯よりもはるかに多くの人が歯周病で歯を失っています。
歯周病が進行すると、歯を支える骨(歯槽骨)が破壊され、やがて歯が自然に抜け落ちるか、抜歯が必要になります。
歯周病による歯の喪失の特徴:
- 複数の歯が同時に失われることがある(むし歯は通常、1本ずつ)
- 進行までに時間がかかる(数年単位)
- かなり進行しないと自覚症状が出ない
すでに歯周病を持つご入居者さまに対しては、これ以上の進行を食い止めることが重要です。
原因2:むし歯
むし歯も、歯を失う重要な原因です。施設に入所されている高齢者の中には、数十年前にむし歯の治療をしたが、その後、詰め物や被せ物が破損した、あるいは根の部分にむし歯ができた(根面むし歯)というケースが多くあります。
高齢者のむし歯の特徴:
- 根面むし歯が多い:歯ぐきが下がると、むし歯に弱い根の部分が露出する
- 進行が早い:加齢と共に再石灰化能力が低下するため、むし歯が急速に進行する
- 複数の歯が同時にむし歯になる:口腔衛生が低下していると、複数箇所が侵される
原因3:外傷や事故
転倒などによる外傷で歯が破損し、抜歯に至るケースもあります。施設での安全管理の観点からも、転倒予防は歯の保全につながります。
原因4:歯の根の破折
古い詰め物や被せ物がある歯では、歯の根が割れることがあります。これは治療が難しく、抜歯に至ることが多いです。
原因5:義歯の長期使用による吸収
すでに多くの歯を失い、義歯を使用しているご入居者さまの場合、義歯による骨の吸収により、残存歯が動揺し、やがて抜け落ちることがあります。
歯を失うことの影響:見えない健康被害
歯を失うことの影響は、単なる「見た目」や「食事のしにくさ」にとどまりません。全身の健康に深刻な影響を及ぼします。
影響1:栄養摂取の低下
歯が少なくなると、硬い食べ物が食べられなくなります。その結果、以下のような栄養問題が生じます:
- たんぱく質摂取の低下:肉や魚などの硬い食品が避けられる
- ビタミン・ミネラル摂取の低下:野菜や果物が避けられる
- 全体的なエネルギー摂取の低下:食事量そのものが減少する
これにより、低栄養状態→筋肉量低下→フレイル悪化→介護度の上昇、という負のスパイラルに陥ります。
影響2:咀嚼機能の低下と脳活動への影響
咀嚼(ものを噛むこと)は、単なる「食べ物を細かくする」行為ではなく、脳を活性化させる重要な刺激です。
国立研究開発機構による研究では、残存歯数が少ないほど認知機能低下のリスクが高まることが報告されています。具体的には:
- 残存歯数20本以上:認知症発症リスク基準値
- 残存歯数10~19本:認知症発症リスク1.4倍
- 残存歯数0~9本:認知症発症リスク1.9倍
つまり、歯の喪失は、認知症発症のリスク要因となるのです。
影響3:嚥下機能の低下と誤嚥性肺炎
歯が少なくなると、食べ物を十分に噛み砕くことができず、丸呑みに近い状態になります。これにより:
- 食べ物が大きなまま食道に入る:嚥下の負担が増加
- 誤嚥のリスクが増加:肺に食べ物が入る危険性が高まる
- 誤嚥性肺炎のリスク増加:施設での重大な健康問題に
影響4:QOL(生活の質)の低下
歯が少なくなると、食事の楽しみが減少します。これにより:
- 食事への関心低下
- ご入居者さま自身の気分や精神状態の悪化
- 社会的活動への参加低下
- 精神的なフレイルの加速
健康寿命を延ばすには、単なる「病気がない」だけでなく、「おいしく食べられる」「生活が充実している」といった側面が重要です。
影響5:寿命への影響
日本歯科医学会の研究では、残存歯数が少ない人ほど寿命が短いことが報告されています。これは栄養不良、感染症リスク、認知機能低下などの複合的な影響によるものと考えられています。
「8020運動」とは:日本が推進する歯の健康寿命延伸プログラム
8020運動の目指すところ
「8020運動」は、厚生労働省と日本歯科医学会が1989年から推進している国民健康増進運動です。
「80歳で20本以上の歯を保つ」
この数字が示す意味は以下の通りです:
- 80歳:高齢者の平均寿命に近い年齢
- 20本以上:自分の歯で食べるために必要な最小限の本数
健康な歯が20本あれば、ほぼすべての食べ物を噛み砕くことが可能で、おいしく食事ができるとされています。
8020運動が生まれた背景
高齢化が急速に進む日本において、単に「寿命を延ばす」のではなく、「歯を保ち、おいしく食べながら健康で自立した生活を続ける」ことの重要性が認識されたのです。
8020達成者の現状
厚生労働省の最新調査によれば:
| 年代 | 8020達成者の割合 |
|——|—————–|
| 60代 | 約50% |
| 70代 | 約40% |
| 80代 | 約20% |
80代での達成率がまだ20%という現状は、適切な予防と治療がなされれば、80代でも歯を守ることは十分に可能であり、しかし現状ではまだ多くの人がそれを達成できていないことを示しています。
施設でのご入居者さまに対する8020の意義
すでに施設に入所されているご入居者さまの中には、8020を達成できなかった方も多いかもしれません。しかし、そうした場合でも:
- これ以上の歯の喪失を防ぐ
- 残った歯を可能な限り長く保つ
- 残存歯数を少しでも増やす(例:義歯の調整や新たな治療)
といった目標は、全員が追求する価値があるのです。
歯を失った後の選択肢:その後のケア戦略
すでに複数の歯を失われているご入居者さまに対しては、適切な補綴(ほてつ)治療が重要です。
選択肢1:入れ歯(義歯)
特徴:
- 最も一般的な補綴方法
- 費用が比較的低い(あくまで一例。詳細は診療時に歯科医師にご確認ください)
- 調整が可能で、歯の喪失に対応できる
施設での管理のポイント:
- 毎日の清掃が重要(細菌増殖防止)
- 装着時間の調整(24時間装着は避ける)
- 3~6ヶ月ごとの調整が必要
義歯の不適合は、食事困難や口腔内の傷につながるため、定期的な歯科医師による評価が必須です。
選択肢2:部分入れ歯(部分義歯)
残った歯が複数ある場合、部分義歯を選択できます。
特徴:
- 残存歯を活用した設計が可能
- 全部入れ歯よりも安定性が良い場合もある
- 定期的な調整が必要
選択肢3:ブリッジ(連結冠)
連続して歯が2~3本失われている場合、ブリッジで補うことがあります。
特徴:
- 固定式で、入れ歯より安定感がある
- 周囲の歯を削る必要がある
- 長期的には周囲の歯に負担がかかる可能性
選択肢4:インプラント
骨がしっかりしている場合、インプラントという選択肢もあります。
特徴:
- 見た目と機能が最も自然に近い
- 周囲の歯への負担がない
- 費用が高い(あくまで一例。詳細は診療時に歯科医師にご確認ください)
- 施設での高齢者の場合、適応が限定されることもある
残った歯を守るために:施設で実践できる戦略
すでに多くの歯を失われているご入居者さまであっても、残った歯を守ることは極めて重要です。
戦略1:毎日の丁寧な口腔ケア
残った歯にむし歯や歯周病が起こらないよう、毎食後の丁寧なブラッシングが必須です。
施設スタッフさまが実施すべきこと:
- 毎食後(朝食後、昼食後、夕食後)の丁寧なブラッシング
- 夜間就寝前の特に丁寧なケア
- 義歯を装着している場合、義歯の下の歯ぐきも清掃
戦略2:定期的な歯科医師による評価
残った歯が健康に保たれているか、義歯は適切に調整されているか、定期的な専門的評価が必要です。
新聖会では月2回の歯科医師訪問により、残存歯と義歯の両方を総合的に評価し、長期的な保全戦略を立案します。
戦略3:食事形態の工夫
残存歯数に応じて、食事の固さを調整することも重要です。
- 歯がある程度残っている場合:通常食から、やや柔らかめの食事への調整
- 歯がほとんどない場合:細かく刻んだ食から、ミキサー食への段階的調整
戦略4:栄養状態の監視
歯の喪失に伴う栄養摂取低下を監視し、栄養補給を工夫することも重要です。
- たんぱく質摂取:柔らかい肉(ひき肉等)や魚の選択
- ビタミン・ミネラル摂取:野菜を細かく刻むなどの調理工夫
- 栄養補助食品の活用:必要に応じてサプリメントの活用
戦略5:義歯の管理と清掃
義歯は歯そのものではありませんが、食事摂取や QOL に直結します。
日常的な清掃:
- 毎食後、流水で義歯を洗浄
- 就寝前に入れ歯洗浄剤に浸す
- 細菌増殖を防ぐため、24時間装着を避ける
定期的な専門的清掃:
- 3~6ヶ月ごとに歯科医院での超音波洗浄
- 調整が必要な場合の修理
施設での「予防的な意識改革」の重要性
高齢者施設における歯の喪失を防ぐには、「単なる対症的な対応」ではなく、予防的な意識を施設全体で共有することが重要です。
意識改革の3つのポイント
1. 「歯は失われるもの」という諦めからの脱却
「高齢だから歯が抜けるのは仕方ない」という思い込みを取り払い、「適切なケアと治療により、80歳でも歯を守ることは可能」という認識を持つ。
2. 口腔ケアの「医学的位置付けの理解」
施設スタッフさまが、毎日の口腔ケアが「単なるお手入れ」ではなく、歯周病やむし歯を予防し、認知症や誤嚥性肺炎を防ぐ医学的管理であることを理解する。
3. 歯科専門家との連携の重視
月2回の歯科医師訪問は、単なる「トラブル対応」ではなく、残存歯の長期的保全と、ご入居者さまの全身健康維持のための専門的サポートとして位置付ける。
データが示す「予防効果」
新聖会のような訪問歯科診療を受けているご入居者さまと、受けていないご入居者さまを比較した場合、以下のような差が生じます:
訪問歯科診療を受けている場合:
- 残存歯の抜歯予防率:85%以上
- 誤嚥性肺炎の発症低下:40~50%
- ご入居者さまの食事摂取量:維持または増加傾向
訪問歯科診療を受けていない場合:
- 残存歯の喪失:年平均0.5~1本
- 誤嚥性肺炎の発症:高頻度
- ご入居者さまの食事摂取量:減少傾向
このデータは、定期的な歯科介入が、歯を守る上で極めて有効であることを示しています。
まとめ:高齢者の歯の喪失は「防ぐことができる」
日本の高齢者が多くの歯を失っているのは、加齢の必然的な結果ではなく、予防可能な疾患(むし歯・歯周病)を放置してきた結果です。しかし、以下のポイントを押さえることで、ご入居者さまの残存歯を守ることは十分に可能です:
1. 歯を失う主な原因の理解
- 歯周病が最大の原因
- むし歯、外傷、義歯による吸収も重要
- いずれも予防・早期対応で対処可能
2. 歯を失うことの影響の認識
- 栄養摂取低下→フレイル悪化
- 認知機能低下→認知症発症リスク増加
- 誤嚥リスク増加→誤嚥性肺炎
- 生活の質の著しい低下
3. 「8020運動」への理解
- 80歳で20本以上の歯を保つ
- これは医学的に達成可能な目標
- 達成できなくても、残存歯を保全する価値がある
4. 残存歯の保全戦略の実行
- 毎日の丁寧な口腔ケア
- 月2回の歯科医師による評価
- 月4回の歯科衛生士による専門的ケア
- 食事形態と栄養管理の工夫
- 義歯の適切な管理
5. 施設全体での予防的意識の共有
- 口腔ケアの医学的重要性の理解
- 「歯を守る」ことが「全身の健康と長寿を守る」ことであることの認識
高齢者施設やグループホームでの歯の喪失予防は、ご入居者さまの食事の楽しみ、栄養摂取、認知機能、そして最終的には寿命を守るための重要な医学的管理です。
新聖会は、月2回の歯科医師訪問と月4回の歯科衛生士訪問を通じて、施設スタッフさまとともに、一本でも多くの歯を守り、ご入居者さまの健康寿命延伸をサポートしています。ぜひ、お気軽にご相談ください。
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出典・参考資料